神谷成文章先生の、楽々、喜び農法 > EM(有用微生物群)を使った農法の説明


【EM(有用微生物群)】

琉球大学名誉教授の比嘉照夫教授も、
微生物の力を使って、放射能汚染を含む
様々な環境問題の解決に取り組んでいます。

(比嘉照夫:ひが てるお 1941年生まれ)

1980年代の初めに1000種類近くの微生物を
集めて研究しておられる時に、偶然、複数の
種類の微生物の共生関係を発見されました。

酵母菌、乳酸菌、光合成細菌を共生させる
ことで、理想的な発酵合成型の有用微生物群
(通称EM:Effective Microorganisms)が
生まれています。光合成細菌は、嫌気性の
細菌で、酸素を嫌い、普段はドブや水田の
底に沈んでいるのですが、乳酸菌や酵母と
一緒になると、空気のある環境でも力を発揮
するようになります。単体では優れた能力を
持っていなくても、様々な微生物が集まって
協力することで最大限に能力を発揮します。

沖縄県にある青空宮殿農場では、EMに
よって無農薬野菜が育てられています。
通常、バナナの木には1房のバナナしか
なりませんがここでは、何と2房なります。


比嘉教授は、以前は化学肥料や農薬の
信奉者で、農薬で農業が大きく前進すると
信じておられました。ところが過度な農薬の
使用によって体がボロボロになり、医者から
「50歳までもたない」と余命宣告を受け、
そこから本格的に微生物の探求が始まった
そうです。ボロボロになった体が健康になり、
大きく人生が変わりました。

常に新しい領域に挑み続けておられ、EMに
電流を整流化させる性質があることを発見し、
電力の効率を上げる素材を開発されています。
(3〜4割、最高5割の節電効果が出るそうです)
ブレーカーのすき間に数個置くだけでもかなり
効果的であるそうです。

またEMを加えると、建材の強度を増すと
いうで、500年以上持つというコンクリートが
開発されています。光合成細菌を強化した
EM活性液を木材に注入し、再乾燥させると
10〜15年の間伐材でも完全に酸化防止が
可能なため、千年杉なみの耐久性を持つ
ようになるということです。

室温を調整する能力もあるので、建物の中は
空調をつけなくても快適だそうです。

セラミックにEM菌を練りこんで焼きます。
その場合には微生物は死にますが、鋳型が
残り、微生物を引きつけるそうです。

EMの中で、特に様々な汚染を浄化する
ことに長けた微生物が光合成細菌ですが、
光合成細菌は放射能を増殖のエネルギーに
しています。光合成細菌と、それに活力を
与える乳酸菌のコンビが放射能を無力化
するということです。

比嘉教授の研究グループは10年以上前から
チェルノブイリで予備実験を済ませていて、
福島原発事故の後、2011年5月から福島県
飯舘村に入り、EMの散布実験をしました。
2ヶ月で、放射性セシウムが2万→5000
ベクレルにまで下がっています。


興味深いのは散布した区画だけではなく
散布しなかった区画も下がっており、それが
「EMの周波数的効果(波動効果)」です。

      

大賀昌氏は、タイでEMを使って農薬を
使わずに立派な作物を作られていることで
知られています。

(草も虫も調和しています)

タイでは、EMを使うことによって、農薬で
姿を消した益虫や、水中生物たちが蘇って
生態系が豊かになり、作物も豊富に実る
ようになったということです。農民の自立
支援をする目的で、国が全面的に導入し、
国家を挙げて推進しています。

通常であれは莫大な予算のかかる川の水質
汚染や悪臭、衛生問題を解決するにあたり、
安価に手に入るEMを活用して、効果を
上げています。

東京の日本橋川でも、2006年12月から
ボランティアの方々が、毎週10トンのEMを
流し続けています。悪臭の元になっていた
汚染物質は分解され、魚も戻ってきています。
下流の隅田川も明らかに変化が見て取れる
ようになり、ついには、東京湾でムール貝
などがとれるようになってきています。


比嘉教授は、必要としているところには
国内国外関係なく惜しみなくEMの技術と
資金を提供し、人材を派遣しています。
特に東南アジアへは長年無償で支援を
行ってきていおられます。2011年以降は、
東北への支援に力を注がれています。
自ら提唱する、「見返りを求めない
ボランティアは地球を救う」という考えを
実践しておられます。

比嘉教授によると、「EMの普及は既成概念と
既得権益との際限の無い戦いとなっていました」
ということです。

「放射線を制御するのは原子核壊変であり、
 それに必要なエネルギーは莫大なもので
 細菌やウィルスが到底出せるものではない
 ことぐらい分からないのか?放射能除染と
 やらはまっかな嘘。オカルトである。」という
批判も続いています。


18世紀に人口が100万人を超えた都市は
江戸だけでした。当時、ロンドンもパリも
100万人を超えていません。そして江戸は
循環型社会を成功させていました。

糞尿は江戸の巨大なビジネスで固形物は
農業用に、液体は工業用に使われていたと
いうことです。糞尿を大八車で引き取りに
行く業者さんたちが集まって、ごった返す
場所が今の新宿で、かつて新宿は、
「江戸の肛門」と呼ばれていたそうです。