天地一体農法について

風天氏の「無肥料、無農薬の超自然農法」の
メカニズムです。


耕盤が抜けると、大雨でも水がすぐに
抜けます。日照りが続いても、水分が下
から上がって湿ってきます。土が柔らかく
竿がブスッと深くささるようになります。
(詳しくは知花先生に学ぶ 風天のおもしろ話

(重川風天氏)

風天氏は、中村天風の天風会に入って
おられたことがあり、ご自身が天風氏とは
反対の雰囲気なので、天風を反対にして
風天とされたということです。

20代より瞑想を始められ、色々な瞑想を
体験されましたが、知花敏彦先生に出会い、
本当の瞑想を知ることとなったそうです。

知花敏彦先生の教えに共鳴され、大きな
出版会社の社長を辞められて、新製品の
開発をされています。瞑想を活かして、
直感で画期的な製品を出しておられます。
(風大和研究所)


※ なお、下の説明は、「真理は実践から」
たったひとつの法則に従う生き方を、
という本を書かれたのが、飯島秀行氏に
よるものですが、風天氏の天地一体農法と
通じるものがあります。参考にして下さい。

自然とは形をまとった宇宙法則のことです。

自然とは形体のことであり、その形体を
動かしている力を宇宙法則(エネルギー)と
いいます。自然は物質で自然自身は動けません。
自然は自ら生きている物ではなく、宇宙法則に
よって生かされている「宇宙法則の宮」です。


宇宙法則のこと別名、生命ともいいます。
生命はエネルギー、宇宙法則、これらを神と
表現することもあります。言葉の発音は違い
ますが意味は同じです。

自然を学ぶという言うことは、自然体が
常にエネルギーを取り入れて呼吸をして
いるメカニズムを知るということです。

自然という形体は水素で出来ています。
水素が形体という器です。その形体(水素)
である器の中に酸素が存在しています。
酸素と水素は同居しています。酸素の圧が
高ければ、エネルギーを呼び込んで動く
ことができますが、酸素の圧が低ければ、
エネルギーを取り入れることができず、
形体は動くことができません。その状態が
「死」と呼ばれるものです。時間の経過と
共に、物質からエネルギー(意識)が抜け、
空に転換してしまいます。そしてまた新たに
空のエネルギーが物質を作る。

これが生命の誕生で、本来生命は誕生する
ものではなく、誕生しているのは生命の宮
です。生命は生まれたり死んだりするの
ではなく、不死不滅の生命で形体は繰り返し
作り替えられます。人間という肉体形体は、
いつかは朽ち果てる有限ですが、肉体を
動かしているエネルギー(意識)は無限です。
有限の物質には、必ず無限のエネルギーが
宿っています。

エネルギーは物質に存在するわけはなく、
非物質に存在します。物質は水素と酸素で
出来上がりますが、物質にエネルギーを
呼び込まなければ、物質は動きません。
物質動かしているのは、エネルギーです。

石炭と石油は水素と酸素で出来ています。
これそのものはエネルギーではありません。
石炭にエネルギーを呼び込んで、初めて
燃えるものとなります。エネルギーは物質に
存在しているのではなく、非物質に存在
しています。有限の物質にエネルギーが
あると錯覚し、有限の物質を取り合うから
喧嘩が起き、あげくの果てには戦争に
つながります。エネルギーは無限に存在
していると認識すると、喧嘩は起きません。

食べ物や飲み物に存在しているのは、
エネルギーではなく、酸素という波動です。
その食物の、「酸素波動圧」に順応して
力が注がれます。そのエネルギーが肉体を
動かしています。エネルギーは物質の中に
停滞するものではなく、物質に対して
入るか出るか、であって常に進行形的な
存在です。

エネルギーは物質に対して、常に出入り
している状態です。エネルギーは、高温度や
初の高い方に注ぎます。これは法則です。
物質は高い方から低い方に落ちますが
エネルギーは、低い方から高い方に注ぎ
ます。エネルギーが注がれると、結果が
変化します。

自然界は、常にこのエネルギーを、
自給自足で補っています。

雨が降る、とはエネルギーが降るという
意味です。水が降ったのとは違います。
畑の作物など、一雨降ると、真っ青に
生き生きとなります。厳密に言うと、
雨がエネルギーを運んで来たということです。
水はエネルギーを引き付けます。


台風が去ったあとは、海も空も美しく
輝きます。それはエネルギーが注がれた
からです。地震や津波は天災だから仕方
ないと思う人が多いですが、天は絶対に
災害を起こしません。地上にエネルギー
不足が起きれば、自然は自動的に不足した
エネルギー補充します。この自然治癒力を
我々は天災と言っています。すべて人災
です。自分たちが汚しておきながら、
天に責任を負いかぶせています。


エネルギーを外に求めてはいけません。
我々の意識そのものがエネルギーだからです。

エネルギーの動きには吸引と放出の2つの
サイクルが存在します。吸引サイクルの人は
全体から見聞きして、原因を目的に行動を
します。放出サイクルの人は、個人的に
見聞きして、結果を目的に行動します。
心という意識が放出型の人に、吸引という
結果は絶対に作れません。自分の意識を
自然体に修正しなければなりません。

人間という物質から一瞬にエネルギーが
抜けた状態を即死、と言いますが、肉体
物質の気圧が徐々に下がって、外との
気圧の差が縮まっていく状態が病気です。

微生物とは宇宙を構成している原点の
「生き物」ですが、微生物の別名を生命、
神、エネルギーなどと表現しています。

大宇宙にたった1種類の微生物しか存在
しませんが、善悪が存在するわけでもなく、
物質が微生物を正常に吸引している時は
「善」と表現し、吸引が遅い状態は
「悪」と表現しているにすぎません。

微生物が動いている状態を波動とか、
振動という言葉で表現しています。
氷を熱すると水になり、水を熱すると
空気になります。氷と水と空気は同じ
微生物であって、粒子が異なるだけで、
全て同じ系列の微生物なのです。
空気もすべてを構成する大本の微生物で、
すべての物質を構成します。そして、
この素材を生命といいます

ケミカルといえば放出のこと、ナチュラル
といえば吸引のことです。物質から徐々に
エネルギーが抜けていく状態がケミカル
(化学)で、エネルギーを呼び込んで、
物質を構成し、物質の維持に努める力が
ナチュラル(自然)です。

どのような農作物でも、畑に存在している
ときはナチュラルですが、土から切り
離した時には、ケミカルに変化します。


腐敗して空に転換していく姿がケミカルで、
形をつくり変えながら、継続していく姿が
ナチュラルです。


お米も、田んぼで収穫されるまでは
ナチュラルですが、収穫後はケミカルに
変化します。ケミカルなお米はそのまま
食べすに、お釜で炊いて食べます。

炊くことで、ケミカルからナチュラルに
変換しているということです。お米をお釜で
炊くとき、お釜の内部の圧力が外気圧より
高くなります。エネルギーは低い方から
高い方へ変化します。これが法則です。
このように、エネルギーを補充して、
ケミカルからナチュラルに転換させます。

発酵もエネルギーの補充です。ナスや
キュウリなども、漬物として発酵させて
食べています。他の動物には出来ない
ケミカルの中庸化です。


ケミカルそのものが副作用です。副作用と
いうと、いかにも悪いイメージを持ちますが、
本来、副作用とはケミカルからナチュラルに
変化する動きのことです。

この薬は副作用が強いということは、この薬を
飲むと体が崩壊していくのだ、と言っている
ことと同じです。同じ薬でも、飲む人によって
副作用が出る人と、出ない人がいますが、
同じ薬でなぜ2つに分かれるのでしょう。

ケミカルという放出化から、ナチュラルという
吸引化に変換できれば症状は出ないのですが、
肉体に安定したナチュラル菌が豊富に存在して
いるなら、多少のケミカル菌はナチュラル菌に
変換できます。肉体にナチュラル菌が少ないと、
副作用が出るということです。


土の仕組みと人の体の仕組みは同じです。
同じメカニズムで存在しています。
人間にとって、胃袋は肉体の上部にあり、
腸は下部にあります。胃はプラス系の
器官で、腸はマイナス系の器官です。

土壌も上部はプラス系の器官で、下部は
マイナス系の器官です。土の上に葉が
落ちると、土の上層部で分解されます。
分解された落ち葉は、発酵し、腐葉土
としてマイナス系に送られて、植物の根
から吸収することができます。


人間もプラス系の器官である胃袋で、
口から入った有機物が分解され、腸という
マイナス系の器官に送られます。口から
入って有機物が完全に無機化され、腸から
吸収されます。

植物は、土の状態がアンバランスになると
病気になります。


人間も同じで、物質的に偏った生活をして
肉体に症状が現れている現象が病気です。
霊的エネルギーを無視して、物質に拘って
ばかりいると、肉体に何らかの症状が出て
くるのは当然のことです。

霊エネルギーが、物質を生かしている生命
ですので、生かされている肉体が、生かし
主を無視して生き続けられることはありま
せん。風邪の症状でも、癌の症状でも、
肉体の病気の原因は、自分自身の意識の
アンバランスです。

物質がエネルギーと呼吸している状態を
健康といいます。物質にエネルギーという
気が入らないから気が病んでいる、これを
病気といいます。